2、最初の春、桜の下で
健一は、窓側の後ろから2番目の席に座り、ぼーっと窓の外を眺めていた。
1-7のクラスは、健一の知り合いが誰もいない。
まぁ高校なんてそんなもんだけど、人見知りの健一としては少し辛い。
健一の不安な顔が窓に写った。
窓の外からは、夏を待ち、出番が来るのを待っている、落ち葉の沢山浮いたプールが見える。
小田原高校は、自然に囲まれている学校だ。
春風に揺られて、深緑の葉たちが互いに仲良く、爽やかな音を鳴らしている。
桜の花びらと一緒に、心地良い春風が教室に吹き込んでくる。
教室の中は、居づらいけれど、窓際のこの席が健一は好きだった。
教室では、いかにもベテランそうで、厳しそうな先生が、入学式のことについて話しをしていた。
「君達は7組だからステージに向かって1番右に男女二列で並んでください。入学式が終わったら武道館で部活動紹介があります。強制参加ではないので一度教室でホームルームをし、解散してから、参加したい人だけ、参加してください」
健一は休み時間、ぼーっと窓側の席にぽつんと座って、教室から人が出ていく様子を眺めていた。
やけに教室はしんみりしている。
暇で暇で、健一は、中学の頃の友達にメールを送った。
『学校どう?俺は非常に微妙…』
しばらくして、黒板の前から、部活の体験入部について、話している声が聞こえて来た。
「バスケ部って練習4時半からだよね」
「そうそう。バッシュとか持って来た?。」
「持って来た。なんか緊張しない?」
「するする。だってあの国体に出た人とやるんだよ」
「やばいね。パスするだけで緊張しそう」
部活かぁ~…。
今日、見学に行ってみるかぁ…。
でもなぁ…どこに行く…。
部活は何かしらやりたいけど、バスケはなぁ…もういいからなぁ…。
強いって有名だし…。
部活かぁ~…。
なんか俺に向いてるスポーツないかなぁ…。
「ねぇ!」
「んっ?」
健一が後を振り向くと、ショートカットで、いかにも何かスポーツをやってそうな女の子が、ニコニコ笑って立っていた。
それになんとなく見覚えのある顔。
女の子が続ける。
「相模中のバスケ部だった?」
相手も自分のことを知っている。
健一はまた少し驚いた。
「えっそうだけど」
「私、湘南中のバスケ部だったの。先生同士仲良いから、よくうちの中学に練習試合に来てたでしょ」
待てよ…。
あー、そういえば…いたいた。
湘南中の女バスだぁ…。
よくオフィシャルやってもらってたっけ…。
「あぁよく行ってたね」
「やっぱり。なんか見たことあると思った。あのさっ、私今日バスケ部の体験入部に行こうと思ってるんだけど、だれかこのクラスでバスケ部に入る子知らない?一人で行くより誰かと一緒に行ったほうが心強いから、誰か知ってれば教えてほしいんだけど」
健一はさっきから教卓の前で、部活の話で盛り上がっている女バスに入るであろう二人組を見た。
「あぁー、あの二人。教卓の前で話してる二人いるじゃん、あいつらさっきから女バスに入る話ししてたよ。今日、体験入部に行くらしい。」
「あの二人?あの二人のこと知ってる?」
「知らない。というか、誰も知ってる人、この学校にいないの。」
「同じ中学の人いないんだぁ」
「そう」
「私もなんだぁ…。だから知らない人ばっかり。あの二人と友達にならなきゃ」
健一は思った。
この子はきっと、健一のような心配はいらない。
愛想いいし、とてもフレンドリーな感じの子だ。
「ちょっと話して来るね。ありがとう。またね!」
愛想よく、ニコニコ微笑みかけてくれた女の子は、教卓の前に行ってしまった。
こういう子は、友達、すぐ作れるんだろうなぁ…。
俺にはない才能だ…そうしみじみ思う。
なんて名前だっけ…。
後ろの席だから、加藤なんとかだったような…。
教卓を見ると、あの二人ともう打ち解けていた。
「湘南中!?遠くから来てるね~」
「だから誰も知ってる人いないの…。知ってるんだ~、私の中学。」
「湘南中ってバスケ強いから私も知ってるよ」
「二人には敵わないよ…富水中でしょ!?県大会の常連校じゃん」
健一は、しばらく教卓の方を眺めていた。
携帯にメールが届いた。
TSUTAYAからのメールだ。
小さく舌打ちをして、携帯をポケットにしまった。
健一は放課後、一人でバスケ部の練習を体育館の入口から、覗いていた。
やってる、やってる…。
やっぱ強いチームって、なんでこうやって、アップだけで強そうに見えるんだ…。
緊張感漂ってる…。
健一はドアから少し離れて、しばらくバスケ部の様子を眺めていた。
加藤真央が、一緒に体験に行くことになった二人組、遥と友紀と、Tシャツ、バスパン、バッシュを持った姿で通り掛かった。
真央は、健一がドアの前で体育館の中を覗いているのを見つけた。
次の日の朝。
昨日の調子で、ぽつんと一人、健一は席に座っていた。
今日も外は、晴れて緑色がよく映えている。
暇だなぁ~。
でも、風が気持ちぃ。
健一は、机の上に顔を伏せた。
寝るか…。
「ねぇ」
加藤真央の声。
「ん?」
目を擦りながらさっと振り向いた。
「おはよう」
加藤真央は今日も屈託のない笑みだ。
「あぁ…よっ」
加藤真央が、後の席から健一の前の席に移動して来た。
「バスケ部入るんでしょ?昨日なんでドアの外から見てたの?」
見られてたかぁ…。ちょっと不審だったかなぁ…。
「いや、まだわかんない」
「なんで?」
真央が健一の机に手をのせ、驚いた顔で健一に問い詰めて来た。
面と向かって、女の子と話すのはなれていない。
健一は横に向きを変えた。
「なんでって…。俺そんなにうまくないし、他のスポーツも良いかなぁって、今思ってるんだ」
「ふぅーーん。そうなんだ」
加藤真央が少し俯いた。
「入るんでしょ?」
「もう入部届出しちゃった…」
窓の外から風がヒューッと吹き込んで来た。
桜の花びらが一枚、教室に舞い込んで来た。
加藤真央は一枚の桜の花びらを目で追った。
健一は、まだ会って二日目の女の子と二人並んで話しているのに、少し戸惑いを感じていた。
「ふぅーん、入らないかもしれないんだぁ…」
「どうして?」
「えっなんか健一くんすごい中学で一生懸命やってたの見たし、バスケ好きなんだなぁって思っててね。入るんだなぁーって勝手に思ってたんだぁ」
「バスケは好きだけどさぁ、うまくねぇんだもん。しかもさぁ…あんなうまい人達と一緒になんてできないよ。」
健一は小学校からバスケをやっていた。
でも、一度として県大会に出たことがない。
いつも地区予選の二回戦目で敗退。
いわゆる、弱小チーム。
それなのに、健一はいつも控えメンバー。
だからもうバスケはやらないと、決めていた。
それに小田原高校は健一でも知っているような有力選手が沢山集まっている。
そんな中に健一が混じれるわけなかった。
「私も実際そんなにバスケうまくないから入るか迷ったんだぁ…。中学であんまり試合出れなかったの。バスケ好きなのに不完全燃焼って感じ…、だってさぁ…試合にでれなきゃある意味、意味ないじゃん。ベンチで応援なんて楽しくないしさぁ…。私は高校って部活とかに打ち込める最後の時期だと思うんだよね。だから私はバスケ部に入ることにしたんだぁ」
真央の顔から、ある決意が感じられた。
「ふぅーん。」
俺も中途半端だなぁ。
一度もバスケで花開いたことがない。
言い訳をするならバスケをちゃんと教えてもらったことがない気がした。
いつも指導者は素人ばっか。
でも、それでも、バスケは大好きだった。
「俺も不完全燃焼かなぁ…」
「私、試合見ててね、健一くん私に似てるって思ってたの。直ぐに交代になっちゃったり、いつも怒られてたり」
「そうそう。よく見てるじゃん」
健一は苦笑いした。
「やったら良いと思うよ。バスケ好きなら、見学に行ったら、きっとやりたくなると思うよ。」
俺も、そう思う。
「うーーん。見学に行ってみてもいいけど…。考えとく。」
「じゃ入るってなったら教えてよ!」
真央は、立ち上がった。
「うん」
健一は、弱い返事をした。
「真央、6組行こ」
遥が、真央を呼んだ。
真央は、遥と友紀と仲の良い友達になっていた。
「うん。じゃまたね」
「じゃっ」
真央は、健一に微笑みかけ、行ってしまった。
放課後、健一は、体育館から聞こえてくるボールの音に足を止めた。
バスケ部が練習している。
体育館から響くドリブルの音、声…。
この音を聞くと、妙に自分もバスケがやりたくなってくる。
健一は、昨日と同じように、昨日よりドアの近くで練習の様子を見ていた。
そこで見たバスケは、今まで自分がやってきた、個人個人が守り、攻めるだけのバスケではなかった。チームが一つになって、守って、攻めている。
これが本当のバスケだと健一は思った。
バスケがやりたい。
バスケがしたい…。
この体育館で、このチームでバスケをしている自分の姿が浮かんできた。
しばらく、ずっと体育館の外に立っていた。
その時、健一の心は体育館のコートの上にあった。
その日、健一は、自分の部屋にこもり、机に座って、夜中考えていた。
あの体育館で自分がバスケをする姿を何度も想像してみた。
…俺でも…必死で着いていけば…行けるかな…。
加藤真央の決意に満ちた顔が浮かんだ…。
『試合にでなきゃある意味、意味ないじゃん。ベンチで応援なんて楽しくないし。高校って部活とかに打ち込める最後のチャンスだと思うんだよね。』
きっと、俺も最後のチャンスだ…。
健一は立ち上がって、狭いので部屋の中、一人、シュートホームを構えた。
正面の時計に向かってシュートを打ってみた。
『スパッ』
シュートが入ったときの網の音が聞こえた気がした…。
次の日、学校に行く途中、百段坂に差し掛かったとき、健一は真央たちが坂の半分より少し先を上っているのを見つけた。
真央を見た途端、反射的に健一は階段を駆け上がった。
そして、真央達の後ろ姿を追った。
人が多くて、中々追い付けない。
息が切れて、苦しいのも忘れるぐらい夢中に駆け上がった。
真央の後ろ姿が近づく。
あと少し…。
頂上付近の桜の下で、やっと真央に追い付いた。
「ねぇ!」
健一は、大きな声で呼び止めた。
「あっおはよう!」
真央が振り向いた。
息が切れて、次の言葉が中々出てこない。
健一は深呼吸を二回して、呼吸を整えた。
「俺、バスケ部に入ることにした」
つっかえながらも、やっと喋れた。
「ほんと!!よかった。お互い頑張ろう」
真央が笑った。
「うん」
健一は微笑んだ。
真央の後で、遥と友紀が足を止め、こっちを向いた。
真央も、そんな遥達に気付いた。
「じゃまた後でね」
真央は遥と友紀の方へ走って行った。
「うん」
健一の横を生徒の波が通り過ぎていく。
健一は桜の下で、しばらく真央たちの後ろ姿を見ていた。
ふと気付くと、心臓がバクバク鳴っている。
よく考えたら、追い掛けなくてもよかった。
そんなこと、教室で言えばいいだから…。
席、後ろ前なんだからさぁ…。
なに息切らせながら、報告してんの……。
息を切らしながら真央に報告している姿を思い浮かべると、なんだか恥ずかしくなった。
健一の前で桜の花びらが舞った。
その後ろで、真央の後ろ姿が消えていった。