9、夕暮れの百段坂
大分、日が傾いて来いた。
校舎の影が長くなる。
健一は、屋上へ上がる階段の前に立った。
太陽の光が、屋上から薄暗い階段に、差し込んでいる。
健一は、一段一段ゆっくりと屋上への階段を上っていく。
扉の前に立った。
扉の取っ手に手をかける。
扉がそっと開いた。
卒業式まで、あと二週間に迫った。
部活が終ってから、真央と話すことが少なくなった。
受験で、忙しく、クラスも違ったから、話す機会がなかった。
私立の後期や、国立を受ける人以外は、大体の三年生は受験が終っていた。
女バスも男バスも、一部を除き受験が終了していた。
中には、これからまた、始まる人もいるけど……。
健一は、先生に受験の結果を報告するため、久しぶりに学校を訪れた。
「おっ!!やっと来た。心配してたんだよ」
「先生、一応、俺大学受かりましたよ。第三希望に」
「そっかぁー。よかったじゃん受かって。健一にしては頑張ったよ」
「何言ってるんですか。最低ラインですよ」
健一は案外プラス思考だった。
「知ってるよっ。祐樹は?」
「俺は第一受かりました」
祐樹はバスケ部のキャプテンで、勉強も、運動も、何でも出来る天才肌だった。
「すごいじゃん。さすがだねぇ。よかったよかった」
「先生、達也はどうだったか知ってますか?あいつ音信不通なんですよ」
達也から、入試が始まってから一回も連絡が取れていない。
「達也はね。後期を受けてるんじゃない?」
達也は、意外と神経質なので、精神的に追い込まれてないか、少し心配になった。
「あいつ、まだ終わってないんだぁ…大丈夫かなぁ」
祐樹がしみじみと言った。
「あいつ、浪人は絶対したくないって、言ってたからな」
先生に報告が終わり、職員室を出ていこうとした。
すると入口のところに、遥と真央がいた。
真央と会うのは一ヶ月ぶりだった。
少し雰囲気が、変わった気がした。
髪が伸びたからかもしれない…。
「おっ、加藤さん、高野さん。久しぶり!どうだった?」
「第一は無理だったけど、第二が受かったからまぁいいとするって感じかな。祐樹くんたちは?」
「俺は、第一受かった」
「さすが。なんでそんな頭いいの?すごいなぁ。健一くんは?」
「俺は第三」
健一は、祐樹の後ろから答えた。
「そっかぁ。お互い浪人じゃなくてよかったね。達也くんは?」
真央は、祐樹と健一を交互に見ながら言った。
「あいつは、まだ終わってないみたい」
「ふぅーん…そうなんだ…大変だなぁ…」
真央が、心配そうな顔をした。
「真央。先生いたよ。」
遥が、ドアの前で真央に手招きしている。
「ホントだ。よかった」
真央も遥の横に並んで、職員室を覗いた。
「行こ。じゃまたね!」
遥は、さっさと職員室に入っていった。
「またねぇ。」
祐樹と健一に手を振り、真央も小走りに職員室に入っていった。
「おう。またね」
祐樹は、軽く手を挙げた。
「じゃぁ、ねー」
健一は祐樹の後ろから声だけ返した。
一通り報告が済んで、祐樹は、赤本を返しに行くために進路相談室に、健一は玄関に向かった。
三月なのに、息が白い。
健一は、ポケットに手を突っ込んで、玄関前で祐樹を待った。
真央はまだ、学校にいるかなぁ……。
もう卒業式まで会えないや……。
廻りを見回して、真央を探してみた。
すると花壇の前の時計の下に、真央らしき後ろ姿があった。
なにやら屋上の方を見上げている。
「よっ」
健一は真央の肩を叩いた。
「あっ、健一君!」
真央が振り向いた。
「誰待ち?」
「遥。健一君は?」
「これから、祐樹と塾に挨拶に行くから、祐樹待ち」
「祐樹君は、何してるの?」
「今、赤本返しに行ってる」
真央は、また上を見上げた。何か気になるものがあるのか…、ただ空を見上げているだけのようにも見える。
「ねぇ、さっきから何見てんの?」
健一も真央の視線の先を見てみた。
夕日で色付き始めた空が、広がっている。
「健一君さぁ、屋上行った事ある?」
「ない。なんで?」
「なんか、学校の中で、屋上だけ行った事ないなぁ…と思って…。あそこからなら、夕日が綺麗に見えるんだろうなぁ…。ここだと木に囲まれちゃって、見えないじゃん」
屋上を見上げながら真央が言った。
「なにロマンチックなこと言ってんのっ」
健一は微笑した。
いかにも真央らしい。
「でも綺麗そうじゃない?」
「まぁね。見てみたいかも」
しばらく二人で空を眺めていた。
太陽の光に反射して、雲がオレンジ色に輝いている。
「もうすぐ卒業だね…。」
突然、寂しそうな声で、真央がつぶやいた。
「そうだね…。急にどうした?」
「いや、みんな大学ばらばらだし、会えなくなるの、寂しいじゃん。なんか最近、妙に寂しくなった。」
「まだ俺は、卒業って実感ないけど…。」
「だってさぁー考えてみてよ。卒業したら絶対に中々みんなで会うことなんて、できないよ。私、高校生活が人生の中で1番楽しかった…。だから妙に寂しい」
確かに…あと一週間で、卒業だ。
みんな、ばらばらになってしまう。
でも、まだそんなこと、考えられない。
また、こんなふうに…
会える気がしてしまう。
「ねぇ、健一くん」
真央が、屋上を見上げなが静かな声で呼んだ。
「ん…?」
「健一君は、さぁー…、好きな子とかさぁ…、いなかったの?」
「いっいないよ。なんで?」
健一は、下を向いた。
「いや別に…。なんとなく…」
最後のチャンスだと思った。
「あっあのさぁ…!」
「ん?」
「お前はさぁー、その…好きな人…いなかったの?」
「いると思う?」
「わかんない…」
健一は急に不安になった。
聞かなきゃよかった…。
「んー…健一くんみたいに友達として好きだったっていう人はいるけど、彼氏にしたいとか、そういう人はいなかったかな…」
…そうだよな。
俺達、友達だもんなぁ…。
だから良いんだったよな。
いずれにしてもショックだけど。
「そっかぁ…やっぱり…」
「んっ?」
「いやいや、なんでも…達也とかは?。」
この際、達也のことを、どう思ってるのか…聞きたかった…。
「達也くんは…好きなのかなぁって時もあったけど…」
んっ…なんだって…!?
好き!!!?
どういうこと!?!?
「マジで!!」
思わず大きな声を出してしまった。
「違うよ、違う。『けど』って言ったじゃん。一瞬だよ。やっぱりラブじゃなくてライクなんだなぁ」
「………」
健一は軽く小石を蹴った。達也に少しでも気が向いていたのは、ショックだ。
健一は、一度もそういう対象見られたことがない。
「んー…。達也君は、健一君と一緒で、友達としてしかやっぱりないなぁ~」
真央は首を傾げて言った。
「そうだったんだぁ……」
自然に声のトーンが下がる。
「今の話、達也くんには秘密ね」
「うん…」
言うわけない…。
「健一君」
「……」
「卒業しても、みんなでまた会おうね。私バスケ部のみんなが1番好き。」
「うん…俺も…」
そう言われても、中々うれしい気持ちにはなれなかった。
「ごめん遅くなった。おっ健一」
遥が走って、玄関から出て来た。
「よっ」
健一は、少しホッとした。
「じゃ卒業式でね」
真央は、健一に手を振った。
「うん」
真央と別れて、しばらく、心臓がバクバク鳴っていた。
祐樹が走って、玄関から出てきた。
「ごめん。先に行ってて。友紀に会ったの」
祐樹の後に、祐樹を待っている友紀の姿が見えた。
「あぁー…うん、わかった」
「すまんな。また後で」
「うん。じゃぁな」
健一は、笑って見せた。
でも、謝られると、嫌な感じがした。
祐樹が、友紀と一緒に帰って行く。
友紀の手をしっかり握って…。
二人の後ろ姿を見て思った。
『寂しい』ってまさにこんな感じだよな…。
健一は、ひとり百段坂を下った。
自分の影が、夕日でいつもよりも長く地面に映っていた。
遠くで、一組のカップルが、百段坂を下りてすぐの右の角に消えていった。
駅までの回りの道。
その道は、『カップルロード』と言われる道に続く。
わざわざ駅まで遠回り…。
健一は一人、
まっすぐ、駅へと向かう。
前には、もう誰もいない。
目の前には、見慣れた町並みが少し色を変えて広がっている。
小高いビルが所々にあり、その向こうに、海が広がっている。
健一は後ろを振り返った。
気付けば、百段坂で、健一は、一人になっていた。
『もうすぐ卒業だね…。』
真央の言葉が、頭に浮かんだ。
なぜか妙に…
胸に響く…。
この三年間、いつも達也がいて、祐樹がいて…真央がいた。
それなのに……。
真央は、寂しがっていたけど…。
俺とは、少し違う…。
俺は、彼氏でもなんでもない、
沢山いる友達の中のひとり…。
『会いたい…』
…なんて、言えるわけがない。
辺りはシーンと静まり返っていた。
空が、淡いオレンジ色に輝いている…。
空の色が、
心に染みた。