新しい学期が始まり、5月を待たずして五月病にかかっているBEMです。とにかく満員電車が嫌でしょうがない。行きも帰りも人ばっかでストレスたまってしゃーないわ!だいたい東京に人いすぎ。日本列島改造計画でも再開すればいいのに。
もう4月も終わりなのでさすがに暖かくなってきましたね。昨日なんて25℃近くでしたものね。けど、やっぱり夜はまだ寒い。あぁ、早く暖かくなんないかなぁ。
突然ですが、『親学(おやがく)』ってご存知でしょうか。おそらく、大半の人が初耳な言葉だと思います。簡単に言ってしまえば、『子どもの育て方』についての学問ということです。
ちなみに俺はこんな言葉さっぱり知らんかった。いやぁ、時の流れってのはすさまじい。親になることすら、学問になっちゃってるのね。
4月25日、政府の教育再生会議は「『親学』に関する提言」を出したらしいです。政府が『親学』に関して提言することは、つまりどういうことだと思います?
みなさんが同じように感じるかはわかりませんが、僕には政府が「正しい子どもの育て方の指針」というものを打ち立てたことになるのではないかと思います。つまり、子どもの教育に関して政府が家庭に対してあーしろこーしろ言ってくるわけですよ。
現状として核家族が大半を占める日本では、おじいちゃん・おばあちゃんという子育てのプロフェッショナルがそばにいるわけではないので子育ての方法を知る機会が昔に比べて少ないことは事実として認めなければいけないと思います。
でも、1960’sに初めて出された以来、子育ての本なんては世の中にごまんとあるわけだからいちいち政府がしゃしゃり出てくる必要はないんじゃないかな。
だからといって、教育再生会議がまとめた『親学』の提言の内容が必ずしも全部間違っているとは思いません。脳科学を具体論としてあげている以上、きっとある程度の科学的根拠にのっとったありがた~い提言なのでしょう。
しかし、政府が育児に関してあえて提言するということは、その政府の提言を育児の模範として扱おうという魂胆があるはずです。
なんで、育児という家庭内の事情に関してまで『一般的なもの』を作ろうとすんだろ。だって子どもの育て方って、たくさんある方法の中から親が自分の子どものために一番いいものを自分で考えて選ぶべきだと思うんだけど…。
あるひとつの方法論として政府が家庭に提案しようとするのならばまったく問題ないと思うし、現に子どもをおいて遊びにいっちゃったりする親がいるのだから、社会秩序を保たなければならない政府としては効果的な手段になりえるかもしれない。
だけど、その方法論を一般的なものとして指針にしてしまうことはだいぶ違うんじゃないかな。だって、政府案が指針になって王道として扱われるってことは、市場に出回っているたくさんの育児書は邪道として扱われるってことですよね。
僕は『親学』という学問は答えのないものだと思うから基準とか模範とかはないんじゃないかと思います。だから、王道も邪道もない。
日本って国はかたっぽで≪個性≫を作ろうとしてるくせに、もうかたっぽでみんなを≪一般≫に当てはめようとしてる。これって、右向きながら左を向こうとしてるってことですよね。これって果てしなきチャレンジだと思いません?